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「疲労感」はセルフコントロールできる
「疲労感」は自分でなんとかできる
思わず「疲れたなあ」と出てくる時、それが精神的疲労であれば、ほぼ自分でなんとかできます。
過酷な肉体労働であれば、その現場を離れれば疲労はなくなりますが、精神的疲労は自分で作って自分で感じているので何とかなります。
やらなければならないものという意味での「仕事」での精神的疲労ならば、未来は明るいです。
なぜならば、「自分でなんとかできる」ものだからです。
ストレスの多くの場合は「他人」の存在ではないでしょうか?
そのストレスが「疲労感」を生み出します。
考え方の大原則 「他人は変えられない」
ほとんどの場合、他人は思い通りに変えることができません。
逆の立場だったとしましょう。
あなたが誰かのストレスの原因になっていたとしましょう。
誰かがあなたに向かって「性格を変えてください」「もっと気を使ってください」と言ったとしたら、あなたはすぐに自分を変えることができますか?
おそらくよっぽど好きな人からの提案だったとしても、無理ではないでしょうか?
意識が高くて自己変革や自己成長の途中ならば可能性もなくはないですが、基本的に人は簡単には変わることができません。
ならばどうするか?
それは、「好き・嫌い」で他人を分類することを「やめる」のです。
多くの場合、程度の差はあれ人のことを「好き」か「嫌い」かで分類するものです。
「嫌い」に分類した時点で、そのことがあなたにとってもストレスになります。
人の分類法を二者択一にするのが、原始時代から続く私たちの脳なのです。
敵か味方か、危険か安心かを正しく分類しないと、生命の危険にさらされる原始時代からの脳の判断は、割と安心な社会生活を送っている現代になってもなかなか抜けるものではありません。
ただし、私たちは思考や創造性を担う、脳の一番のエースとも言える「前頭全野」が発達しています。
安心できる材料を考え出すことができれば、そのストレスから逃れられるのです。
「好き」「嫌い」で分類していた直感的な判断をやめて、
「好き」「普通」「大嫌い」に分類してみましょう。
もちろん、いろんな感情が交差して、「大嫌い」と分類することもあるでしょう。
その場合には、「大嫌いだけどここだけは見習うべき点がある」と、いいところを探してみましょう。
「直感」ではなく、よく観察する脳トレです。
長期にわたり「大嫌い」だった人の「いいところ」を探すのはしゃくに触るかもしれませんが、多くの場合「嫌い」に分類されている人の嫌いな部分を強調してその人のことを見ているのです。
例えばあなたにとっては「普通」の人でも、他の人(Aさん)からすると「嫌い」な人(Bさん)がいたとします。
AさんはBさんの嫌いなところばかり見て、誇張して悪口を言ってるのに気づくはずです。
「そうは言っても、Bさんはどの子にも優しいよ」とAさんに教えてあげられるぐらい「普通」に思っています。
同様に、あなたが「嫌い」な人も、他の人にとっては「いいところ」もある人なのです。
他人を変えようと思ってもなかなか変えられませんが、あなたが考え方を変えるのはすぐにできます。
他人の「悪いところ」を探すのは簡単ですが、「いいところ」を探すのには集中力や観察力、そして「許せる力」が必要です。
「いいところ探し」で「エンドルフィン」を増やす
「いいところ」を探しているには「集中力」が必要です。
集中しているときには「エンドルフィン」という脳内物質が出ています。
エンドルフィンは脳内麻薬とも言われ、至福感や恍惚感が得られます。
しゃくにさわる「嫌いな人」でも、「嫌い」という感情を決めるのはあなたです。
そしてその感情をコントロールできるのもあなたです。
変えられないことに熱心で、「嫌い」をますます脳内に定着させる必要もありません。
熱心なファンのように「嫌い」な人のことを考えるのではなく、「いいところ」探しができる心のゆとりを作り出して自己成長した方がよっぽど健康的です。