一息に生きる(いっそくにいきる)【禅の教えからの学び】


【一息に生きる】

ひと呼吸するその瞬間、瞬間を
一生懸命に、丁寧に生きなさい、
ということです。

私たちが今を生きているのは、

過去からの連続で、最先端です。

02一息に生きる

 

その「今」も、
明日になれば「過去」になってしまいます。

過去のことは思い返しても仕方がありません。

未来のことは、その時が来ないと分かりません。

 

「昔はこんなにすごかったんだ」

「若い頃はこんなにキレイだったのよ」

このような過去の栄光や栄誉が、

「今」を生きる「よりどころ」になっている人も

少なくないでしょう。

 

過去にこだわって生きることは、

「今」の生き方に対する

自信のなさそのものです。

 

過去を引きずる生き方は、

「今」の自分を蔑(ないがし)ろに

しているのにも等しいです。

 

私事ですが、

この原稿を書いている時点で、

私の父は入院中です。

 

1ヶ月以上寝たきりで、

食事を摂ることも

自力で動くことも

できなくなっています。

 

現役バリバリで働いていた時、

とてつもなく大きく偉大な仕事を

していました。

 

でも、子である私たちに対して

「どうだ!すごいだろう!」と

自慢をしたことは一言もありません。

 

英語もスペイン語も

仕事で使えるほど堪能なのに、

それを習得した努力をひけらかすことも

一度もありませんでした。

 

83歳になり、入院して寝たきりです。

 

父本人は、

「老いと病で何もできない」と感じているかもしれません。

「みんなに迷惑をかけるね。ありがとう。」と

やっとの思いで口にします。

 

ところが、私を含めた兄妹や母は、

迷惑だとか、厄介だとか、

これっぽっちも思いません。

 

「欠け椀も もとは吉野の 桜なり」

という川柳があります。

 

「今でこそ落ちぶれているけれど、昔は立派だった

(だから馬鹿にしてはいけない/だけど昔はもてはやされていた)」

2つの読み取り方ができる川柳です。

 

確かに今は人の手がなくては生きていけない

「(自称)欠け椀」かもしれませんが、

私にとっては、

今までで一番偉大な存在として

父を想うことができるようになってきました。

 

一息に生きてきた父の姿の

偉大なところしか思い出せません。

 

見た目は弱ってきた姿ですが、

日に日にとてつもなく

大きな存在に思えてきて、

「ありがとう」と感謝の言葉しか出ません。

 

その気持ちに対し、

父は「ありがとう。ありがとう。」と

弱々しい口調で、

何度も何度も言います。

 

辛いとか

痛いとか

不平不満を言うことなく、

「ありがとう」しか言わない「今」の父の姿こそ

最大の学びであり

目指すところだと思います。

 

素晴らしい教えを頂きました。

参考文献
「心配事の9割は起こらない」
枡野俊明著/三笠書房

 

心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」 (単行本)
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