主観で語る「肉親を失った人に対するタブー集」その3【その年賀状、スパムですから!】


主観で語る「肉親を失った人に対するタブー集」その3
【その年賀状、スパムですから!】

 

人は誰しもいつかは肉親を失うものです。
遺族の悲しみや落胆は当事者しか分からないものです。
 
 
私は2015年12月15日に父を亡くしましたが、
亡くして初めて人の痛みが少しは分かるようになりました。
これから誰でも訪れるであろうその時に
周りの人はどのようにすれば良いのかを主観だけで綴ります。
 
 
本当に主観だけで語りますが、
主観無くして本気の気持ちは語れませんのでご了承ください。

SNSでつながっている人にメッセージでの年賀状は不要

年神様から新しい年を賜るのが、
日本のお正月。
 
 
「今年も無事に新しい年をありがとうございます。
おめでたいことでございます。」
誰彼隔てなく、新しい年をお祝いするのが
日本のお正月の慣わしではありますが、
一部の人はそっと生活をしています。
 
 
いわゆる喪中の方です。
 
 
残念なことに2016年のお正月は、
私が喪中の真っ最中でした。
しかも、年末に父が亡くなったので
とてもとても浮かれてお祝いをする気持ちなんて
さらっさらありませんでした。
 
 
毎年恒例の一族集まっての新年会も、
今年は何もできませんでした。
 
 
文字通り、「寂しいお正月」を味わいました。
 
 
切ないね〜
でも人生に何度も無いことだから、
この現実をしっかりと受け止めようっと。
などと、すこしずつポジティブになろうとしていましたが、
やはり傷心中であることには変わりありません。
 
 
SNSはfacebookをメインにやっていますので、
繋がっている方は軽く1000人を超えます。
 
 
父が亡くなって1週間してから、
facebookで繋がってくださる方に向けてのお知らせをしました。
 
 
多くの方からお悔やみの言葉をいただきました。
その節はありがとうございました。
 
 
ところが、寂しい元日を迎えて、心静かに過ごそうとしていても、
やってくるんです。
 
 
偲び草3

おめでたさ全開!
全力疾走でおめでたさを個別に送りつけてくるメッセージが年賀状の写真とともに…

御愛出当後財増!
今年も伊東さんにとって素晴らしい年でありますように!

何の宗教か知りませんが、
当て字で自己啓発をする人を見かけます。

「仕事」を「志事」
「頑張ろう」を「顔晴ろう」
「忘年会」を「望年会」
「最高」を「最幸」
「ございます」を「ご財増」
「お疲れ様」を「おげんきさまです」
 
 
イタいイタい文字変換たっぷり(笑)
小学生のテストなら、バツがつきます。
いい大人ですから、変な宗教に洗脳されてるバカっぷりを
SNSで公表する必要もありません。
せいぜいご自身のタイムラインへの投稿でやめておきましょう。
 
 
このイタいイタい文章を、
まさかまさかのおめでたさ200%のメッセージを受けてしまいました。
 
 
「悪気はなかった」と思うのですが、
受けた人は悪気にしか感じません。
 
 
SNSで繋がっている人に、作業のごとくビシバシとメッセージを送っていることでしょう。
実は、一番イタいメッセージを送ってきた人とは、
2度3度、ちょっとお会いしただけの間柄です。
 
 
もちろん、ごく親しい方であれば、
しょっちゅうタイムライン上で「いいね!」やコメントのやりとりがあるはずです。
 
 
タイムライン上での交流があれば、
私が傷心中であることは分かりますよね。
 
 
機械的におめでたさを拡散する年賀状
中にはおめでたくない人もいますので、
くれぐれも送信しない方が良いでしょう。
 
 
紙の年賀状であれば、早めに投函する人もいますし、
公表していなければ、我が家の不幸なんて知る由もありません。
 
 
紙の年賀状をくださった方は
どうぞお気になさらないでくださいね。
ありがとうございました。

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主観で語る「肉親を失った人に対するタブー集」その2
【そっとしておいて】


肉親を失った人に対するタブー集その2
【そっとしておいて】

人は誰しもいつかは肉親を失うものです。
遺族の悲しみや落胆は当事者しか分からないものです。
 
 
私は2015年12月15日に父を亡くしましたが、
亡くして初めて人の痛みが少しは分かるようになりました。
これから誰でも訪れるであろうその時に
周りの人はどのようにすれば良いのかを主観だけで綴ります。
 
 
本当に主観だけで語りますが、
主観無くして本気の気持ちは語れませんのでご了承ください。

そっとしておくのが一番の優しさ

私は普段のfacebookなどへの投稿では、
「お腹が痛い(から励まして)」
「(調べるのが面倒だから)教えてください」
いわゆる「かまってちゃん」「くれくれ星人」で
自己表現していません。
 
 
SNSは、たとえ見る人を限定していても
多くの人にその投稿を見られていると意識しなければなりません。
 
 
かまって欲しければそのように表現しますし、
そっとしておいて欲しい時には投稿を控えます。
 
 
肉親を失うと、気持ちの整理や実務的なことで
頭の中がいっぱいいっぱいになってしまいます。
 
 
とはいえ、社会生活を送っていますので
周りの方々にご迷惑がかからないように
父が亡くなったお知らせを何人かにお知らせしなければなりません。
 
 
このタイミングでお知らせする方は、
・仕事上、どうしてもお知らせしなければ迷惑がかかる人
・親友(話を聞いて欲しい気持ちがいっぱい)
・お世話になっている親戚
ごく限られた人です。
 
 
お知らせした方から、共通の友達に連絡が回ります。
私が逆の立場でも、「◯◯さんのお父さんがお亡くなりになったそうだよ。」と
連絡網を回すことでしょう。
 
 
そこからどのように動くか。
玉串料(仏教徒なら香典)の手配は?
お花を贈る?
など、お葬式に関することでは、
その人との人間関係を考慮して動きます。
 
 
もし、SNS上で知り得た情報であれば、
それはSNS上で交流をしたいということです。
 
 
それが個別にメールやLINEでお知らせされたのであれば、
個別にお返事が欲しいという意図です。
 
 
共通の友達から知らせを受けたのであれば、
「直接何かアクションをおこしてもらいたい」の意図はありません。
 
 
どこからか経由で知らせを聞いたのであれば、
遺族が「今すぐにあなたの声が聞きたい」の意図はないのです。
 
 
ところが、直接連絡をしていない方から
ガンガンと「お悔やみ申し上げます」とLINEやメールがきます。
 
 
私のことを親しいと思ってくださっているのでしょう。
ありがたいことです。
お気持ちはしっかりと受け止めました。
 
 
大切なお客様からの連絡もありますので、
スマホの電源は入れっぱなしで長野から大阪に移動しています。
 
 
何も知らないお客様からのご連絡は、
感情等が入らないので、何も思いませんし、
淡々と営業日のご案内の変更をお伝えするだけで済みます。
 
 
「凹むわ〜!」と思ったのが
お説教かよ?
それがたった今、肉親を失った人に対する文章かよ?
と思える文面でのお悔やみ文。
 
 
「いつまでもあると思うな親と金」
「親の葬式をして初めて大人」
「私の時は…」
ご自身の気持ちが先走りすぎて、
私の気持ちを慮ることなく
ガンガンと文章を綴る人もチラホラありました。
 
 
ぶっちゃけて言いますと、
「そんなあなただから直接連絡したくなかったんだよ!」ということです。

偲び草2

人は複雑かつ多数の方々との関わり合いの中で生きています。
ご縁のある方の全員に、大至急肉親の不幸をお知らせする義理も義務もありません。
 
 
喜ばしいニュースであれば、
すぐにお祭り騒ぎをして、
喜びを分かち合いたい気持ちになります。
 
 
身内の不幸ですので、
自分の気持ちと向き合いながら、
色々と想いを馳せ、
現実と向き合う静かな時間が必要です。
 
 
くれぐれも、
「どなたかのお身内が亡くなった」と聞き及んでも、
すぐにその人にメールやLINEなどで
個別にお悔やみを述べるのは避けた方が賢明です
 
 
ましてや、上から目線で遺族の頭をぶん殴るような文章は厳禁です。
「な〜にが『親の葬式をしてやっと立派な大人』だよ!うるせえ!」と思われるだけです。
 
 
連絡網的に私の父が亡くなった報せを聞いても、
そっとしておいてくれた方の優しさが
本当にありがたかったです
 
 
おめでたいことは大騒ぎ
不幸なことはそっとしておく
一般的な人と人とのお付き合いはこうでなくては、と強く感じました。
 
 
「自分が逆の立場だったら」と考えることの大切さを学んだ2ヶ月でした。

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主観で語る「肉親を失った人に対するタブー集」その1【お前誰やねん?/長居厳禁!】


肉親を失った人に対するタブー集その1
【お前誰やねん?/長居厳禁!】

人は誰しもいつかは肉親を失うものです。
遺族の悲しみや落胆は当事者しか分からないものです。
 
 
私は2015年12月15日に父を亡くしましたが、
亡くして初めて人の痛みが少しは分かるようになりました。
 
 
これから誰でも訪れるであろうその時に
周りの人はどのようにすれば良いのかを主観だけで綴ります。
 
 
本当に主観だけで語りますが、
主観無くして本気の気持ちは語れませんのでご了承ください。

死亡当日に来るな!来ても長居は迷惑です!

父は大阪に住んでおり、私は長野。
その報せを受けてから大阪に帰るには時間がかかります。
それでも何とか当日に実家に帰ることができました。
 
 
「一刻でも早く父に会いたい」と、
長距離バスであれこれ思いを馳せていました。
22時頃到着。
玄関では兄や妹が出迎えてくれました。
 
 
「お父さんは奥?」と一番奥の部屋に入ると…

偲び草1

「お前誰やねん?」
見知らぬご婦人が二人、母と話をしていました。
 
 
死亡当日の深夜に、赤の他人が父の遺体の前でお茶を飲みながら腰を下ろしているではありませんか。
 
 
いろんな想いを胸に抱きながら遠路はるばる帰ってきました。
父の顔を見ながら、
闘病生活をねぎらったり、
看病してくれた母や兄妹にお礼を言ったり、
あふれる気持ちをブチまけたい一心でした。
 
 
ですが、「お前誰やねん?」な人が二人もいれば
家族にしか見せない顔を出すことがためらわれます。
 
 
「ご飯まだやろ。お寿司あるで。」と、
父の顔をしっかりと見ることなく
もぐもぐと腹ごしらえをしたのでありました。
 
 
すっかり腹ごしらえが終わるまで、30分はかかったでしょう。
その間もずっと父の前で長話し。
聞けば二人のご婦人は妹の旧友とそのお母さんでした。
 
 
一刻も早く父に会いたいと、
焦っていた気持ちが一気に冷めてしまいました。
 
 
「通夜も葬式も来れないから」という理由での訪問だったそうです。
 
 
伊東家一家にとって、ものすごく親交が深い人でもありません。
むしろ、「お久しぶり〜。何年ぶり?元気にしてた?」ぐらいの間柄。
 
 
母や妹と、会っていなかった時間に積もる話もあるでしょう。
でも、時と場合を考えましょう。
 
 
肉親が亡くなった当日は、親近者だけで話したいことが山のようにあります。
当日に顔を見に来なくても、
「あの人は失礼だ」なんて思いません。

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ご訪問の気持ちはありがたくお受け致しますが、
挨拶だけしてそっと帰るのが、
遺族にとってありがたいことです。

特に呼ばれてもいない人の長居は厳禁です!


「ご冥福をお祈りします」の使い方と受け止め方


「ご冥福をお祈りします」

 

お悔やみの言葉としてよく見聞きしますが、仏教徒限定の言葉だと知っていましたか?
輪廻転生の死生観がある仏教で、
「あの世で幸せになりますように」の意味合いがあります。

 

仏教では生前の功徳や悪行により天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六つの転生先があるそうですね。

六道輪廻図六道輪廻図

「あるそうですね」と他人事のように表現しましたが、私にとっては他人事なのでしょうがない(笑)

 

お悔やみの言葉というのは、述べる人の心からすると、自身の死生観で述べるでしょうし、相手の人の立場になったら相手の死生観で述べるものでしょう。

 

どう見てもヨーロッパ出身の人が、お悔やみの言葉とともにアーメンと十字を切っても不思議には思いません。
日本人からすると、日本人とは異なる文化圏の人(と決め付ける)なので、不快感もないでしょう。
その人の気持ちを汲み取ることこそ第一義とする優しさです。

 

明らかに仏教徒ではなさそうな人、例えばキリスト教徒の方のお墓の前で、数珠を持って「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀」と唱える人もいなさそうですね。

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自身の理解する範囲で、自分の死生観や宗教観を押し付けないという気遣いができる優しい国民です。

 

この場合は、相手の立場に立つことができる日本人の美徳、またはどのような宗教もTPOに合わせて使いこなす器用さのなせる技だと思います。

 

日本人の大多数を占める仏教徒ですが、中には仏教徒以外の人も存在します。

 

仏教伝来よりも前から日本に存在する神道です。
(※お葬式を神道式(神葬祭)で行う割合は、2%ほどだそうですが、その経緯には江戸時代の檀家制度にありますが、長くなるので割愛。)
(※明治時代に神仏分離令が施行されなければ、神職の末裔である我が家でもお坊様のお世話になっていたかもしれません。)

 

キリスト教や仏教のように経典的なものがあるわけではありませんが、それなりに決まりごとや習慣があります。
(もっとも、イエス様もお釈迦様も、ご自身ではその教えを書き記してはいないそうですが。)

 

神道の死生観を簡単に言えば、
「人が亡くなると祖先の霊(神)に合流して守護神となる」という考えです。
どのような人生を歩んできても、地獄に落ちるとか、畜生道に入るとか、物騒な考えはありません。
生まれ変わるという死生観も持ち合わせていないので、冥福を祈られても、ちょっぴり困ってしまいます。

 

神道では「冥福」という考えがありませんので、当然「供養」という言葉も使いませんし、お線香をあげる習慣が無いので、「お香典」が発生することもないのです。
お香典に相当するものは「御玉串料」と言われます。
「お線香の代金」ではなく、「玉串の代金」の意味です。

玉串

当然のことながら、神道の通夜祭、遷霊祭、葬場祭では数珠は使いません
いや、むしろ数珠はマナー違反に相当します。

 

大多数の人が仏教徒である日本、よく存じております。
また、身内が亡くなった時に心から哀悼の意を表してくださって、その方の心からの言葉で「ご冥福をお祈りします」と言ってくださったことも、心から感謝申し上げます。

 

ケチをつける目的で文章にしたのではないことは、重々ご承知くださるとは思いますが、皆様の今後の人生で出会うかもしれない神道の方が亡くなったときのために、少しでもご理解いただけるといいなと思います。

 

ここまで書いておいてナンですが、遺族と言葉をかけてくださる方の親しさで、受け取れる感情が変わるものです。

 

親しい方が心から「ご冥福をお祈り申し上げます」なんて言われたら、「ありがとうございます。励ましのお言葉に感謝します。」と思えるものです。

 

キリスト教徒の方から、「R.I.P(rest in peace/安らかに眠れ)」とコメントをいただいても、その方との親しさがあったからこそ「ありがとうございます」とお礼が言えました。

 

要するに、親しい人からの「言葉尻」を見るのではなく、「心」を汲み取れば、どの言葉もありがたく受け止められるものです

 

2015年12月、父が亡くなって数日してからfacebookでご報告したときには、圧倒的多数の方々が「ご冥福をお祈り申し上げます」とコメントくださいました。
実は、それはそれは嬉しかったのですよ。
その節は本当にありがとうございました。
大きな励みになったことは事実です。

 

宗教観よりも、人の気持ちを大切にする世界になれば、差別や紛争も少しはなくなるのかな…などと殊勝なことまで考えてしまう今日この頃です。


追記
実家では、父が亡くなったお知らせの寒中見舞い葉書を出したところ、お線香をお送り下さる方が結構いらっしゃったとのこと(笑)
敬虔な仏教徒の叔母にプレゼントする予定です(笑)

お線香